007シリーズ その7 全作品を見終えて(時代考)

コンテンツサービス事業部の後藤です。前回ボンドについて感想を書きましたが、今回は時代背景について考えてみたいと思います。

1960年代から70年代までは冷戦時代の敵(かたき)から世界征服を企む悪の秘密結社(ショッカーみたいですねww)との闘いになっていきます。日本では昭和真っただ中なので、作品全体がパワハラ・セクハラの嵐です。まぁ、私的には古き良き時代ですね。(笑)余談ですが、当時ジュリーの歌でボギーを懐かしんでいましたが、その後の世の中の状況を鑑みますとなかなか先見の明があった歌なのではないでしょうか。

80年代はまだ昭和の匂いを残していますね。だいぶ柔らかくなってきましたが、まだまだハラスメントが溢れる作品となっています。冷戦時代からソ連の崩壊まではまだ明確な仮想敵国があったので、それを絡めた秘密結社との闘いになりますが、少しずつ各国のスパイ同士が協力する体制になってきています。「全人類の敵」のような悪の組織と戦います。映画といえど名指しでは国を敵にすることは憚れる時代になってきました。

90年代以降はもう明らかに時代が変わっているのが分かります。80年代から少しずつ女性の役割が変わってきました。お飾りのボンド・ガールではなく、滅茶苦茶強い女スパイ(この言い方は抵触するのかな?)が登場し、ボンドと死闘を繰り広げていたかと思うと、いつの間にか上司のMが女性になっていました。作品としてもバランスを取るためか、全体的に半端なストーリーというか、より現実味のない内容になってきたと思います。特撮の技術が発達してきたためか、派手な爆発ものは増えていますが、整合性というか、細かい矛盾が散見されるようになります。

2000年代に入ると、00(ダブルオー)セクションが取りつぶされる話が出てきます。「もう一人のスパイがドンパチやって世界を変える時代ではないんだよ」何とも悲しい言葉です。ヒーローも戦いも要らない世界になってきたということですね。もう敵はいないからスパイも不要だと。それでもやっぱり悪い奴は居るもので、管理社会の中で誰も手を出せない状況になり、そこでお待ちかね007の登場となるわけです。この時代になると、ボンドのセクハラが都度攻撃(粛清?)されています(笑)そのわりにボンドがウケるパワハラは健在で、随分ひどい扱いを受けています。それでも文句を言わずに従うところに、私は「男らしさ」を感じます。感情ではなく理屈で動く、これがボンドなのです。(感情的なところもうまく任務に絡めて、問題ない形でかたき討ちするところもクールで良いわけです)

これまでの流れを観ますと、時代が変わり、ジェームズ・ボンドという古い男が社会から疎んじられていくという流れがありますが、結局最後は「やっぱり007じゃなきゃダメだよね!」で落ち着きます。このシリーズは今後も機会があれば見続けたいと思います。

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