うっせえわ の考察

コンテンツサービス事業部の後藤です。4月号のニュースレターにこの「うっせえわ」という曲について少し書きました。少々時代遅れ(笑)かもしれませんが、こちらはその続きになります。寅さん観た後に少し追記しました。

さて、この「うっせえわ」の歌詞で感じたのですが、「今どきの若いもん」は俯瞰する感覚を持っているということですね。現実世界の中では自己を押し殺して調子を合わせているが、内心ではクールにその現状を観ている感じ。かつて「新人類」と呼ばれた私たちの世代は、「つっぱる」ことで大人への抵抗を表していました。少し後の世代は「夜の校舎で窓ガラスを割って」アピールしました。その後、肉体的な暴力は影を潜め、メンタルな暴力が横行しているように思えます。ネット社会になって、言葉が文字として手軽にやり取りされるようになり、その重さには送り手と受け手でギャップが生じるようになったのではないでしょうか。口から出る言葉は、その抑揚で感情や度合を表現できますし、対峙する相手が目の前にいれば、言葉の使い方も変わってくるはずです。携帯画面の文字面だけではそこは伝わりません。絵文字やスタンプ等で感情を補足していますが、コミュニケーションはもっと複雑です。それで、だんだん細かいところまで伝えるのが面倒になり、分断されていく感じ。ただし、わかる奴にはわかるだろ?的なつながっているという共感が根底にあります。若者たちに限らず、社会のしきたりとか上下関係とかに「うっせえ」と思っている人は多いでしょう。自分が大人側になると、「うっせえ」ことをいう立場になり、それに従わない者を叱る・・ってずっと繰り返されてきたのだと思います。

私たち「大人」も、かつての「ナイフみたいにとがってた」自分を忘れてはいけないと改めて思いました。世代間ギャップは育っている時の流行り廃りや社会常識の変動に影響されるので、その指向性は様々ですが、根底にある「社会常識」に対する怒りは普遍的なものなのではないかと思います。

でもね、守るべき者ができたとき、集団に属してそのしきたりに従って生きる必要も出てくるものです。寅さんみたいにいつまでも一匹狼で生きていられるならそれでも良いけど。自由と共生のバランスを取ることが大事だと思いました。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)